変えるのはストレス発信器の方ではない。
本日もお読み頂き、ありがとうございます。
前回は、Wi-Fiが必要ないとき何をするかということを皆様に考えて頂きました。
まずは、私の考えたとても突拍子もない方法から紹介しましょう。
などが列挙できます。
では、次におそらく皆様が日常において行う方法です。
といったところでしょうか。
この2つの違う点をよく考えてみましょう。
当たり前と思えるようなことですが、考えて意識することが大切です。
違う点の1つ目は「やり過ぎ度合い」です。
前者は明らかに必要以上のことをしてしまっています。
そして、必要以上のことをしようとするととてつもないエネルギーを消費してしまいます。
違う点の2つ目は「干渉の対象」です。
前者の方法のうち上から2個目までは、発信源をどうにかなくそうとしています。
我々の意思にかかわらず、日常の環境で絶えず飛び交っているものを根源から断つことは困難を極めます。
一方で、後者はすべて、自らのテリトリー内での解決策です。
この2つの問題は、皆様が日常で意識しない当たり前のレベルだと思います。
しかしストレスに対しては、我々はなぜかこの2つの問題で無意識に、より悪い選択をしてしまいます。
わかりやすいのが、人に対して怒りを感じるときのストレスです。
皆様は御両親と喧嘩をしたことはありますでしょうか?
私は、何度となくあります。そして、喧嘩をしている最中は親の言動すべてに腹が立ちました。
苛立ちがたまり続けた結果、私は両親に対して些細なことで文句をつけたり、わざと両親を困らせるような行動をとったりしました。
これらの行動の目的は「両親が折れて自分に謝る」であると考えられます。
しかし、この目的は前述した2つの悪手を選択してしまっています。
まず、喧嘩の原因はある事象に対しての意見の食い違いであることが多いです。
それにもかかわらず、全く関係のない言動に対して難癖をつけたり、他所で問題行動を起こすというのは、明らかに「やり過ぎ」です。
その場ではスッキリすることもあるでしょうが、無駄なエネルギー消費によって、結局は更に状況を悪化させます。
そして、「干渉の対象」もストレスの発信源になってしまっています。
Wi-Fiを根源からなくすことが困難である様に、両親に対して自分に謝らせるように行動することはとても難しいです。
無意識にこれらの選択をしてしまうのは当たり前ともいえます。
なぜなら、喧嘩をした時点でストレス受信設定がなされていて、適切な方法でストレスの受信設定の解除をしない限り、ストレスに影響を受けた感情に悪手を選ばされ続けるからです。
この当時、私はどうするべきであったのでしょうか。
その答えとして私は、「干渉の対象」を自分のテリトリー内に定め、「適切な度合い」の行動を成すべきだったと考えています。
ではここで考えてみましょう。
とても抽象的なこの答えですが、より具体的にはどういったことなのでしょうか。
つまりストレスにおける、
「干渉の対象を自分のテリトリーに定めるとはどういうことか」
「適切な度合いの行動とはどういうことか」
また、これらを導き出すためにどういった「考え方」をするべきなのでしょうか。
ということをぜひ今回も皆様に考えて頂きたいと思います。
ストレスはWi-Fiのようなもの。
本日もお読み頂き、ありがとうございます。
さて、前回私はストレスを「考える」ということを書きました。
皆様もこの意味不明な記事に対して考えてくださりましたでしょうか?
ストレスを考えたことはなくても、「今までストレスを感じたことはない!」という御方は少なくとも、この記事をご覧になっている方の中にはいらっしゃらないのではないでしょうか。
「 ストレス」は普段、目で見ることはできなくても世界中に張り巡らされているようなWi-Fiのようなものです。
そして、我々はそのストレスを自動的に受信してしまっています。
初めてWi-fiを利用してインターネットにアクセスする時、お持ちのスマートフォンなどの端末で設定をしたことを覚えていますでしょうか?
設定するまでは、勝手にWi-Fiに繋がったりはしません。
しかし一度設定すると受信圏内に入ったとき、勝手に接続されてしまう端末が多いと思います。
ストレスもこの「設定すると勝手に接続する」という現象を起こします。
ある人が嫌いになると、その人の言動すべてにイラつくといった経験ありませんか?
仕事で失敗をしてしまった後ほど、次の日職場に行くのが億劫になりませんか?
これは 、何かがきっかけに設定されたストレスを自動的に感情が受信してしまっている状況です。
「何を当たり前なことを言っているんだ」と思うでしょう。
しかし当たり前なことほど、よく考える機会が少ないのです。
Wi-Fiの場合は勝手につながると便利ですが、ストレスの場合はむしろ邪魔になります。
そして勝手につながるストレスを「当たり前のものだ」と、ひたすら浴び続けている方はとても多いです。
では、ここで考えてみましょう。
Wi-Fiが必要ない時、どのようなことをしますか?
ただし、ストレスとWi-Fiとの関連性はまだ置いておいてください。
ただ単純に、Wi-Fiがいらないときに取るべき行動を考えてみてください。
またもや、意味の分からない指示で困惑していますでしょうか?
頭の良い方はストレスとの関連も深く考えてしまっているでしょうか?
このもどかしさで今ストレスを感じている方は、またよくこのストレスを味わってみてください。
そしてどういった感覚なのかお時間の許す限り考えてみてください。
一緒にひたすらに考えてみよう。
皆様は「ストレス」をお持ちですか?
現代は高ストレス社会と呼ばれるほど、「ストレス」に満ちあふれています。
したがって我々は様々な場所で「ストレス」を発見することが出来ます。
学校、職場、家庭。
更に細かくしていきますと、
通勤通学途中の電車やバス、
交通渋滞を引き起こしている道路、
お昼時の飲食店、
お使いのインターネットの中まで...
理由は多岐にわたるでしょうが、このような様々な場においてストレスを感じた経験がある方はとても多いと思います。
溢れているストレスを浴び続けた結果、精神的な病、肉体的な病に冒されてしまった方も今では珍しくありません。
私も、何度もその病む一歩手前までストレスを感じ続け、そのたびに楽になる方法を模索しました。
そして、たどり着いたのが
「考える」ことでした。
おそらく、皆様の頭には疑問が浮かんできたと思います。
そして意味不明なこの答えにストレスを感じた方もいらっしゃるでしょう。
この瞬間、ストレスを感じた方はとてもラッキーです。
そのストレスはどんな感覚でしょうか?
痛いでしょうか?熱いでしょうか?
じっくりその感覚を考えてみてください。
ストレスを感じなかった方も、私がたどり着いた「考える」こととはどういうことかお時間があれば、ぜひ考えてみてください。